I don't give a shit.

幸せに、すきに生きて

2020.3.9(ハッピーバースデー、場末のポエムを添えて)

 

 

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来年のユンギさんお誕生日には日々積もりゆく愛をぎゅっぎゅと詰めた場末のポエムブログを書くぞ…と意気込んでから、早一年。「来年用ユンギさんセンイルポエム」という訳の分からない仮題で一文字も綴られることなく下書き保存だけがされたままだった。いつの間にか、日付も越えた。3月9日。ああ また今年も、丸腰のまま特別な日を迎えてしまった。

 

今年もわたしの推しであるユンギさんのお誕生日がやってきました。大切な人がこの世に生を受けた日。どうしてこんなにも心がざわつくのかよく分からないけど、今日一日くらい、いつも以上にユンギさんのことを考えたって良いでしょう。ということで大遅刻をキメながらも深夜のテンションにまかせて盛大な独り言を安置しておきます。

 

今回のカムバは まず最初のクラウチングスタートから完全に出遅れるという敗因により、一瞬にして置いていかれ全然追えておりません。わたしはわたしの日々があるし、出来るペースで彼らの姿を追いかけるとしよう。そう思ってちまちま見たりしていて、先日纏まった時間を作りやっとこさ とっても楽しみにしていた記者懇談会を見たわけです。やたらと照れくさそうに質問に答えるユンギさん、かと思えば確固たる考えをお持ちでいらっしゃるユンギさん、何かをメモるユンギさん(二枚目いってた)そのメモをきちんと折り畳んでいたユンギさん(退席までは映像に映っていなかったけれど あれは絶対に持ち帰っている、絶対に)かわいいとかっこいいと個人的な癖が大渋滞でそれはそれはもう大変でした、わたしの気持ちがです。中でも一番心を打たれたお話が、shadowについてのところ。

今回のアルバムの中で、最初に世に出されたのはユンギさんのInterude:shadowでした。いつも思うけどユンギさん自身を荒く削り出したように作られた曲を聴くと心臓の裏側がぎゅうっと苦しくなってしまってもうアカンのですが、しばらくshadowを聴き続けて、ああ 春の暖かい日差しがいつも真上からあなたに降り注いでくれたなら、その影もなくなるのに…なんて思ってしまっていたド厚かましい花道清掃おばさん(私)は、ユンギさんが「これは僕が担当なので…」とごく普通に淡々と話し始めた自身の影についてのお話を聞いて膝から崩れ落ちました。ユンギさんにとって影は敵でも味方でもなくただいつもそこにいるもので、あるがまま受け入れることで心が軽くなりますからと。ポジティブとか、自己肯定とか、そういう類のものとはまた少しベクトルが違う、ただ客観的に現実的に己を認めて信じてあげられる、そんなユンギさんのしゃんとした姿がすきだ。はっとして、自分を見つめるきっかけをくれて、時にはもがいて、人間臭くて愛おしい、自ら発光するというよりかは 何かを反射してきらきらと光っているような、そんなひと。そしてそんなユンギさんから繊細に 時には荒く削られ生まれる音楽がわたしはだいすきなのです。

わたしにはわたしの人生があって、過ごす日々の中で心の中での位置や大きさは移り変わることもあるけれど、ユンギさんの毎日が忙しくも心身共に健康で、まあ今日も悪くない一日だったと思えるようであればいいと願っているし、それでもあわよくばいつの日も幸せであってと祈らない日はないし、愛でひたひたにしてあげたいという気持ちは何ら変わりありません。ユンギさんもユンギさんだけの人生を生きて、あなたの軸を大切にして。画面越し、或いはライブで顔を合わせたりして、お互い健康でいようねとか、幸せでいようねとか、平行に愛を渡し合える関係でいられますように。これからの毎日が、あなたが望む今日でありますように。いつの時も、ふかふかの愛で包まれますように。親愛なるユンギさん 誕生日おめでとう!

 

 

 

(TLにそれはそれは可愛い天才アミさん達お手製のしゅきちゃんのお菓子が溢れる中、わたしはシュキなのかユンギさんなのかシュガさんなのか もはや何と呼んだら良いのか分からない、得体の知れない子達を愛でていた…せっかくなので最後のふたりを記念にそっとここに置いておく…とってもご機嫌ななめ…)

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